☆2014年7月16日更新しました。
小野あかねさん論文掲載操作ミスがありました。訂正しましたのでお読み下さい。
2014年7月11日更新しました。
小野あかねさんの論文「秘密保護法と治安維持法(時代に翻弄された家族の嫁として)」
を掲載しました。(PDF)
☆2014年6月12日更新しました。
2014年6月1日 「平和のための戦争展in横浜」で「横浜事件を語り、伝える会」の齋藤信子がspeechしました。
ダイジェスト版原稿はこちら(microsoft office word)
スピーチ全文はこちら
6月2日東京新聞「横浜版」に載りました(PDF)
2014年1月29日放送のテレビ神奈川「TVKニュース930」で、「特集 横浜事件から70年 いま考えること」が放送されました。主な内容は以下の通りです。
横浜事件で有罪とされその後「冤罪」と認められた小野康人の長女である紹介と、横浜事件とは第二次大戦中神奈川県警の特高が雑誌の編集者30人余りを逮捕して拷問、共産主義の論文を載せた罪で有罪とした。被告らを有罪としたのが治安維持法だ。
大川弁護士「治安維持法は何をやっったら犯罪に当たるのかということが、非常に曖昧模糊としている。究極において天皇制を転覆の目的に通じると官憲(警察など)が理解すると、どんな行為でも処罰の対象となる」
ナレーションで大川弁護士の紹介。最初の再審請求の弁護団事務局長。戦後40年たって再審の請求に至ったのは国家機密法を出した社会の危機感からでした。
大川弁護士「国家機密法も何をすれば処罰の対象となるかが非常に曖昧。どうにでも運用される悪法だという危機感があった世の中になっていたのでこの際数十年前に被害があったが、実は「冤罪」だったんだという横浜事件を明らかにしようというのが共通の動機だった」
裁判所から「雪冤」成ると「無罪認定」の垂れ幕を持った横山弁護士と兄。
結局国家機密法は廃案になったが、横浜事件再審請求は第4次まで回を重ね、刑事補償法で冤罪が認められたのは2010年、最初の再審請求から24年が立っていた。
齋藤「治安維持法は廃止されたが、それとほぼ同じ内容の国家秘密法などが名前を変えて出てくる。危機感がなくなって混沌とする時代の中で今、秘密保護法という名前で出てきている。当然親の時代の人達が生きていれば真っ先になって反対しただろう」
父からは事件のことは聞いたことがなかった。母から拷問の話を聞き「お父さんは何も悪いことをしたわけではないので、引け目を感じることではないと」と言われた。小野康人さんの無実を信じた貞さんは無実の判決を聞くことなく1995年、第2次再審請求の途中で亡くなり、横浜事件は「冤罪」という司法の判断を聞くことはなかった。
貞さんの様子や裁判を見続けて来た信子は、秘密保護法の施行が迫る中社会に危機感を隠せない。
齋藤「これは若い人たちの問題なんだがいつの時代もそうだが、無関心というか、何も知らないのも若い人。要するに極めて無責任な法律を作っているということですよ。少なくてもそういうことを見聞してきた私達が言う責任だと思って言っているので、「どういうところに気をつけたらいいですか?」という問題ではない。「自分で知ろうとしなければ、自分に起こってくることだ」
大川弁護士「歴史の教訓というものに国民がよく学んで暴走させないように意見を上げていく。そういう地味な取り組みの積み重ねの上に、こんな法律は廃止しましょうという世論が生まれていくのではないだろうか」
歴史の教訓を伝え続けている声を私達は今決して無駄にしてはならない。
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